tobira 早いもので、「今週の1枚」も10回目。週イチ更新だから今年の終わりには無事に52回目が達成されてるんでしょうか・・・?と未来のことを心配しつつ(苦笑)、今回ご紹介するのは、ゆずのメジャー3rdアルバム「トビラ」。2000年11月1日発売の作品です。

 ゆずについての一般的な認識というと、「路上ライブ出身の爽やかな二人組」とか、「親しみやすい曲調で真っ直ぐな歌詞を書く」とか、そういうイメージだと思います。実際、今回紹介する「トビラ」の前のアルバム「ゆずえん」では、前述のイメージそのもののシングル曲を5曲収録していて、あくまで「爽やかフォークデュオ」の枠内で作り上げたアルバムだったと思うのですが、そのアルバムで一旦そのイメージ戦略は終了したのか、続くシングル「心のままに」では激しい心情吐露を、そして「嗚呼、青春の日々」ではエレキサウンドで従来のゆずのイメージを破壊しにかかっていく、という具合にアピールの仕方を変えてきていたような気がします。そして、これらのシングルが収録されたニューアルバム「トビラ」では、「これってあのゆずなのか?」と思ってしまうほどの新境地が聴ける、いわゆる挑戦的な作風に仕上がっていました。

 このアルバムに収録された北川悠仁の楽曲は、「仮面ライター」「何処」「午前九時の独り言」など、社会に対する風刺(というか反発?)を色濃く描いた曲がほとんど。「俺は今こういうことが歌いたいんだ〜!」という彼の心の叫びをそのまま歌詞にしたような、ある意味、ゆずのパブリックイメージとかけ離れた野心的な作品が並んでいます。ギターもエレキを多用していて、アコギを抱えて路上ライブを行っていた以前の面影はかなり薄まっている様子。そんな「動」の部分を強調した北川に対し、岩沢厚治は、「飛べない鳥」「ガソリンスタンド」「新しい朝」といった「静」の作風に終始。北川よりは従来のゆずのイメージを守りつつも、今回のアルバムでは、どこか目線が達観しているというか、世間に対してどこか諦観を抱いているかのような楽曲が多く、何やら寂寥感すら感じさせる作品を連発。

 例外として「気になる木」「シャララン」あたりは以前のゆず的なアプローチをしてファンサービス的な匂いがするものの、アルバム全体を通して聴くと、北川、岩沢両氏の作風があまりに乖離し過ぎていて、クレジット見なくても「あ、この曲はこっちが作ったな」というのが一聴して分かるほど。基本的には自分で作った曲は本人がメインを取っているので、下手すると「二人がバラバラに作ったソロアルバム」となってしまいそうなところですが、それを防いでいるのは二人のハーモニーなんですね。どんなに挑戦的な曲や諦観を感じさせる曲を書いても、二人がハモればやっぱりゆずになってしまうという。ただこれはゆずの弱点ではなくて長所だと思います。すでにこの時点でその「二人の声=ゆず」という図式が確立していたからこそ、アルバム「トビラ」も一枚通してバラバラにならず、形になったと言えるでしょう。

 このアルバム関連の一連のリリースを終えた後、ゆずはあくまでシングルはパブリックなイメージを貫き通して、アルバムでは密かな毒を仕込んでいく、という活動方針になり、それを2008年に至る現在でも続けていると思います。この後のアルバムでもブラックな曲や社会を風刺したような曲は意外とあるのですが、アルバム一作を覆えるほどの問題作になったのはこの「トビラ」が最初で最後ではないでしょうか。このアルバムの、特に北川悠仁の楽曲のアクの強さは、今でもゆずファンの中では賛否両論で、個人的にもあまり好みじゃないな〜という感じなのですが(おい)、ゆずにとっては彼らの歴史上、良かれ悪かれ、重要な足跡を刻んだ作品なのではないでしょうか。
 また筆者も、このアルバムを聴いたことで「これからもゆずを聴き続けていこう」と決意したこと、逆に言えば、このアルバムがなければ今に至るまでゆずを(アルバム単位で)聴くことはなかっただろう、ということを考えると、少なくとも、自分にとってはこのアルバムの存在は大きかったと思います。