kamijyou 今年で開設9年目に突入した本ブログ、「CD Review」と共に最古参のコンテンツである「今週の1枚」。今回のエントリーをもって第70回目を迎えました。「今週の〜」と銘打っていながら昨年は1回きりの更新でしたので(苦笑)、今年はもう少し更新回数を増やせていけたらと思っております。さてそんな中でピックアップするのは、恐らく本ブログで紹介するシンガーとしては最年長、今年の3月で76歳を迎える超ベテラン・上條恒彦が今からちょうど20年前の1996年6月1日にリリースした、「冬の森にて」。

 上條恒彦といえば、世間一般的にはミュージカル俳優・または舞台役者といったイメージで、実際そちらの活動が現在のメインフィールドだと思うのですが、キャリアのスタートは歌声喫茶の歌い手からとのこと。やがて小室等率いるユニット・六文銭と共演した「出発の歌」が世界歌謡祭でグランプリを受賞し、一躍時の人に。以降は歌手活動を続けながら俳優としてテレビドラマに出演したり、舞台に立ったり、稀にアニメ作品に声優として出演したりと、その声を活かした活動を続けています。
 筆者ぐらいの世代になると80年代に「ハイリハイリフレハイリホー♪」と歌う某食品のCMや、NHKみんなのうたでオンエアされた「天使の羽のマーチ」を歌っていた人、と言えばピンと来る方もいらっしゃるかもしれません。かくいう私はあの朗々と歌う声を聴いて「さぞ爽やかなお兄さんが歌っているんだろう」と勝手にイメージしていたのですが、実は髪ボサボサで髭モジャモジャの眼鏡をかけたおっさん(失礼!)だった、という事実を知った時は子供心にショックを受けたものでした(苦笑)。

 …話が若干脱線しましたが(笑)本作「冬の森にて」は、歌詞ブックレット内のライナーノーツによると、音楽活動に関して「ライブ人間」の彼としては、実に17年振りのアルバムレコーディング作品とのこと。制作にあたって尊敬する小室等をディレクターに迎え、ライブでのバンドメンバーを従えて1996年の2〜3月に全15曲を録音。曲目は古くは60年代、新しくて90年代前半と、上條恒彦が30年以上の間の「曲に出会った順」に並べられていますが、ある程度はアルバムとしての1枚の流れを考慮して選曲された印象。先に述べた通り、自作のアルバムは相当久々ということで、後半の曲が彼の声でCD音源化されるのは本作が初、と思われます。
 長いキャリアを持つ彼なだけに、代表曲である「だれかが風の中で」をはじめ、「サトウキビ畑」「襟裳岬」といったスタンダードナンバー、ピアノをバックに歌い上げる唱歌風の「おやすみ」、短編朗読として「わたしが一番きれいだったとき」、舞台経験を活かし、宮沢賢治の銀河鉄道の夜に材を採った「父が息子に与える歌」等々、収録曲の表現方法は実に多彩。特に出色の出来なのは、彼の故郷である長野県の桔梗ヶ原を舞台にした狐の伝奇をモチーフに描いた「玄蕃之丞」。スリリングなバンド演奏と朗読、歌唱が繰り広げられていく歌劇の態を採っていて、9分近い収録時間にも関わらず最後まで緊張感が持続する名演が堪能できます。

 さて、そんな本作を聴きながら感じたのは、主役である上條恒彦自身のボーカルの表現法のこと。選ばれた楽曲は「いぬふぐり」「PEACE IN HARMONY」など、平和への願いや反戦への祈りが込められたメッセージ性の強い曲も含まれているのですが、感情を込め、過剰過ぎるほどの熱意を持って聴き手に迫ってくるタイプのボーカリストとは異なり、堂々と歌っているにも関わらず、激情に至る一線を越えず、理性によってその歌声を冷静にコントロールしているかのよう。「自分ひとりだけ気持ちよくなるな」と、駆け出しの頃にバンドマスターに叱責され鍛えられた、とライナーノーツに書かれている通り、時に抑制の効いた歌声が楽曲のメッセージを引き立て、聴き手それぞれに様々な情景を想起させてくれます。中でもタイトル曲「冬の森にて」などは、真冬の夜空の下で白い息を吐きながら雄々しく、そして優しく歌う、彼の姿が目に浮かぶ秀逸な歌唱だと思いました。

 ちなみにこの作品は1996年という時代としてはまだ黎明期であった「自主制作」、いわゆるインディーズCD。CDショップには流通せず、インターネット環境も整っていなかった当時、なかなか簡単には手に入れることのできなかった作品だったようで、現在販売は終了しているようですが、ネット通販などでは比較的安価で手に入れることが可能なようです。
 その後、2003年には宮崎駿プロデュースの「お母さんの写真」、2013年には「生きているということは」と、10年に一度のペースで新譜をリリースしているのですが、この二作はシンガーとしてのみの側面を見せたコンセプト色が強いので、舞台役者としての姿も含めた上條恒彦の作品、という意味では本作を最もお薦めいたします。